定点観測 〜同じ地点の今と昔〜

世の中、時の流れに合わせて町は刻々と変化しています。このコーナーではひとつの場所に立ち、昔と今の町の風景がどのように変わったのかを定点観測としてお届けします。変わった場所、変わっていない場所、人それぞれの思い出が蘇ります。

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東京タワーがそびえる国道1号線

平成30年度(2018年)制作

東京タワーがそびえる国道1号線/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

国道1号線(現、高輪地区総合支所前)を走る都電や乗用車。清正公〜魚籃坂下付近。今はない歩道橋から撮影。ビルも少なく、東京タワーがよく見えました。

所在地

清正公〜魚籃坂下(高輪一丁目・白金二丁目付近)

高輪今昔物語メンバーの声

昔は東京タワーがよく見えました。50年一昔です。

地域

  • 白金
  • 高輪

皇太子殿下ご成婚奉祝記念 花電車

平成30年度(2018年)制作

皇太子殿下ご成婚奉祝記念 花電車/昭和34年(撮影: 1959年4月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

国道1号線が古川橋へ抜ける場所。国道I号線の拡張前で、伊達屋敷あたりも緑がうっそうとしていたそうです。当時としては、とても華やかなパレードでした。

所在地

高輪一丁目

高輪今昔物語メンバーの声

道路のカーブで今昔がわかります。写真は皇太子殿下(当時)の結婚祝ですが、その平成も31年まで、来年から時代が変わります。(撮影時)

地域

  • 高輪

写真コーナー No.303

泉岳寺から伊皿子

平成30年度(2018年)制作

泉岳寺から伊皿子/昭和44年(撮影: 1969年6月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

都電7系統(品川→四谷三丁目)。泉岳寺から伊皿子坂の急カーブを上がります。

所在地

高輪二丁目(伊皿子坂)

高輪今昔物語メンバーの声

都電7番がゆるく大きなカーブの伊皿子坂を上がっていったのを覚えています。周辺の建物はマンション·ビルに変わっています。

地域

  • 高輪

泉岳寺での廃止1ヶ月前

平成30年度(2018年)制作

泉岳寺での廃止1ヶ月前/昭和44年(撮影: 1969年9月)→平成30年(撮影: 2018年10月)

路線が縮小され、終点が泉岳寺になった7系統の廃止1ヶ月前。

所在地

高輪二丁目(泉岳寺前交差点·旧芝車町)

高輪今昔物語メンバーの声

都電「泉岳寺前」停留所があった付近に、今は都バス「新宿駅西口」行と「六本木ヒルズ」行のバス停があります。

地域

  • 高輪

外苑西通り(プラチナ通り)

平成30年度(2018年)制作

外苑西通り(プラチナ通り)/昭和60年(撮影: 1985年3月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

現在のプラチナ通りから目黒通り、白金台交差点へ。前田電気、トヨタ薬品、マスレンが見えます。ここが「プラチナ通り」の名称になるとは全く思わなかった。

所在地

白金台五丁目

高輪今昔物語メンバーの声

総合ディスカウントストア「プラチナ ドン·キホーテ」※もびっくりの変わりよう!?

※同店は2015年5月29日に「驚安感、猥雑感、高級感のミックス」をコンセプトに開店、話題を呼んた。

地域

  • 白金台

玄誠堂書店

平成30年度(2018年)制作

平成30年度(2018年)制作/昭和3年頃(撮影: 1928年頃)→平成30年(撮影: 2018年9月)

自宅本屋の前で撮影したもの。奉公人とのスナップ。現在、マンションになっている。大正元年から創業、店舗上は奉公人の部屋で、奥が地主の部屋でした。

所在地

白金台五丁目

高輪今昔物語メンバーの声

目黒通り側から玄誠堂の本屋さんが在った場所は、ドン·キホーテの近くです。

地域

  • 白金台

白金ボウリング場

平成30年度(2018年)制作

白金ボウリング場/昭和49年(撮影: 1974年)→平成30年(撮影: 2018年9月)

ボウリングブームも長く続きませんでした。閉鎖され、東京電力病院の仮診療所になり、港区立白金台福祉会館と児童館に建替えられ、現在の白金台いきいきプラザに至っています。

所在地

白金台四丁目(旧芝白金台町二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

1960年代後半から70年代前半にかけて、空前のボウリングブームがありました。ボーリングをして、生き生きとした生活を楽しんだのも、はるか遠く…。

地域

  • 白金台

白金台ボウリング場と山城園旧店舗付近

平成30年度(2018年)制作

白金台ボウリング場と山城園日店舗付近/昭和60年(撮影: 1985年)→平成30年(撮影: 2018年10月)

ボウリング場(現、白金台いきいきプラザ)隣の山城園旧店舗。小金井の江戸東京たてもの園に文化価値の高い歴史的建造物として移築。昭和初期建築、木造3階建。戦時中は銅ぶき屋根にペンキを塗って、供出を避けていた。

所在地

白金台四丁目

高輪今昔物語メンバーの声

日本茶の卸をされています。立派にビルになって、お店は地元の皆さんに愛されています。

地域

  • 白金台

明治学院前

平成30年度(2018年)制作

明治学院前/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

都電4系統(五反田→銀座)。明治学院記念館とチャペル、ヘボン館を背景に。4ヵ月後、この学校に入学するとは…

所在地

白金台一丁目

高輪今昔物語メンバーの声

礼拝堂は変わりませんが、周りの景色はずいぶん変わりましたね。

地域

  • 白金台

東禅寺へ向かう通り

平成30年度(2018年)制作

東禅寺へ向かう通り/昭和47年(撮影:1972年1月1日)→平成30年(撮影: 2018年9月)

第一京浜国道より東禅寺へ向かう通り。

所在地

高輪三丁目

高輪今昔物語メンバーの声

自動車用品店が昔から変わらず営業していることが分かりました。奥に向かうにつれて高層ビルが並ぶようになり、景色がガラッと変わっています。

地域

高輪

廃止前の京品ホテル

平成30年度(2018年)制作

廃止前の京品ホテル/昭和42年(撮影:1967年11月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

京品ホテルは、2008年11月廃業。その隣は京浜急行本社。廃止までーヶ月を切った品川駅前の都電(三田行入庫電車)。もうすぐ廃止になるのかな〜と、シャッターを押すのも重たかった。

所在地

品川駅前(高輪三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

パチンコ店ができる前は京品ホテルが建っていたなんて知りませんでした。奥のトロリーバスはなくなってしまっています。

地域

  • 高輪

トロリーバス

平成30年度(2018年)制作

トロリーバス/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

品川駅前のトロリーバス(102系統池袋駅前行)。都電と同時にトロリーバスも廃止になりました。車体も重く、加速も遅かったけど、クリーンな空気の電気自動車でした。

所在地

品川駅(高輪三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

品川駅前にトロリーバスが走っていたなんて写真を見るまでは知りませんでした。今では黒部ダムのトロリーバスだけが、日本唯一の現役で、まだ走っているとのことです。

地域

  • 高輪

旧京浜急行本社のようす

平成30年度(2018年)制作

旧京浜急行本社のようす/昭和50年(撮影: 1975年頃)→平成30年(撮影: 2018年9月)

旧京浜急行本社。元は京急の品川駅舎だった。昭和56(1981)年に解体された。現在は京急ウイング高輪WESTになった。

所在地

品川駅前(高輪四丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

京浜第一ビル(ウイング高輪WEST)前の様子。奥には今の東京らしい高いビルがそびえたちます。人の量にも違いを感じます。

地域

  • 高輪

都電1系統

平成30年度(2018年)制作

都電1系統/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

都電1系統は三田車庫の受け持ち。エース系統だけあってポイントの分岐は絶対曲がらず直進のみ。41系統あった中でもアメリカで開発したPCCカーが随一走った線でもあって、他の系統とは格が違っていた。

所在地

品川駅前(高輪四丁目·旧芝高輪南町)

高輪今昔物語メンバーの声

トロリーバスがなくなり、道幅が広くなり、車の通りが多くなったと感じます。トロリーバスがなくなると一気に時代が替わったように見えますね。

地域

  • 高輪

都電廃止の日

平成30年度(2018年)制作

都電廃止の日/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2016年10月)

都電廃止の日。品川より1番、3番、7番の都電が走っていた。

所在地

JR品川駅前(高輪三丁目付近)

高輪今昔物語メンバーの声

今と駅前の構造は変わらなくとも、昔は都電が走っていたと考えると普段何気なく通っている場所にもしっかりとした歴史があると感じました。

地域

  • 高輪

高輪二丁目第一京浜国道

平成30年度(2018年)制作

高輪二丁目第一京浜国道/昭和47年(撮影: 1972年1月)→平成30年(撮影: 2018年8月)

昭和47年当時、高いビルも少なく、車も少ない。東京タワーがよく見える。

所在地

高輪歩道橋から

高輪今昔物語メンバーの声

道路沿いから民家が消えたのは、品川がビジネスの中心として発展している証拠だと思いました。歩道は木が植えられているが、道路も歩道も大きく変わった部分はないと思いました。

地域

  • 高輪

第一京浜の様子

平成30年度(2018年)制作

第一京浜の様子/昭和42年(撮影: 1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年8月)

第一京浜の様子。

所在地

高輪三丁目

高輪今昔物語メンバーの声

高いビルが並んで、道路も整備されて時代は進んでいると思いました。

地域

  • 高輪

品川駅から北品川方面を見る

平成30年度(2018年)制作

品川駅から北品川方面を見る/昭和50年頃(撮影: 1975年頃)→平成30年(撮影: 2018年10月)

JR品川駅(左側)、京急品川駅及び京急百貨店。

所在地

品川駅前(高輪三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

今と違い駅前の施設が少なく、発展途上なんだと

地域

  • 高輪

日吉坂上歩道橋の上より

平成30年度(2018年)制作

日吉坂上歩道橋の上より/昭和54年(撮影: 1979年12月)→平成30年(撮影: 2018年8月)

当時は、歩道橋から東京タワーが見えました。商店が並んで活気がありました。

所在地

日吉坂上交差点(白金台四丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

建物の高さは2倍以上になっていて驚いたが、横断歩道はそのままで、同じ場所だと実感しました。東京タワーが見えなくなったり、電柱がなくなり、道路沿いに木が植えられたことにも気づき、間違い探しのようで楽しかったです。

地域

  • 白金台

歩道橋より日吉坂を見る

平成30年度(2018年)制作

歩道橋より日吉坂を見る/昭和51年(撮影: 1976年8月)→平成30年(撮影: 2018年8月)

桑原坂と日吉坂の突き当たりにある歩道橋からの眺め。都職員住宅が遠くに見える。旧安田銀行の跡地を、八芳園が本社として使っていました。

所在地

日吉坂上交差点(白金台四丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

八芳園の建物の低さに驚きました。また、当時と比べ、歩道が広くなり、歩きやすくなっていると思いました。路線の数や模様も少し変わっていました。

地域

  • 白金台

昭和60年の酒店の風景

平成30年度(2018年)制作

昭和60年の酒店の風景/昭和60年(撮影: 1985年6月)→平成30年(撮影: 2018年8月)

ご近所の皆さまが集まり、楽しくよく笑いました。

所在地

二本榎通り(高輪二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

大桝屋酒店さんが現在はなく、当時をよく知る薬局の方にお尋ねしたところ、新しいマンションかメロンパン屋さんの位置にあったと伺ったので、どちらも撮影しました。学校のすぐ近くにお酒がたくさん積まれた酒屋さんがあったら学生はとても喜ぶだろうと思いました。

地域

  • 高輪

ブラスバンド 二本榎通り、歩行者天国をねり歩く

平成30年度(2018年)制作

ブラスバンド ニ本榎通り、歩行者天国をねり歩く/昭和50年(撮影: 1975年)→平成30年(撮影: 2018年9月)

二本榎通り、高輪町栄会活性化イベントです。東海大付属高校の吹奏楽部が演奏パレードしました。

所在地

二本榎通り(高輪二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

芝信用金庫は昔からあるのだと知りました。自分が通う大学の周辺もかなり多くの家やマンションが建てられたことを知り、昭和50年のニ本榎通も通ってみたいと思いました。

地域

  • 高輪

広〜い桜田通り

平成30年度(2018年)制作

広〜い桜田通り/昭和42年(撮影:1967年12月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

飛行場の滑走路みたいな国道1号線(桜田通り)。明治学院大学のヘボン館がとても高く見えました。

高輪今昔物語メンバーの声

高輪という地は都心ということもあり、ビルの増加、道路の整備など今と昔の変化が大きく、昔からの変化に驚かされるだけではなく未来に訪れる更なる変化に期待が高まりました。

所在地

国道1号線(桜田通り)(白金台二丁目·高輪三丁目)

地域

  • 白金台
  • 高輪

白金猿町界隈を走る都電

平成30年度(2018年)制作

白金猿町界隈を走る都電/昭和42年(撮影: 1967年2月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

都電4系統は、目黒〜銀座二丁目を走っていた。都電の向こうに銭湯の煙突がそびえたっている。「猿町」の名前は町会名にしか残っていない。

所在地

白金台二丁目·高輪三丁目

高輪今昔物語メンバーの声

都電は無くなり、煙突も消えビルが多くなったが、道路などの地形にはしっかりと白金台の面影が残っていました。

地域

  • 高輪
  • 白金台

海軍大学校の卒業式に行幸の折

平成30年度(2018年)制作

海軍大学校の卒業式に行幸の折/昭和初期(撮影: 昭和初期)→平成30年(撮影: 2018年9月)

行幸時は、2階の窓を閉めなければならなかった。手前には路面電車の線路。

所在地

白金台三丁目(旧芝白金台町二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

屋根の低い建物、行幸、路面電車と今とは全く違う景色を見せた昔の白金台に今との変わりゆきを大きく感じることができました。

地域

  • 白金台

泉岳寺前交差点

平成30年度(2018年)制作

泉岳寺前交差点/昭和44年(撮影: 1969年6月)→平成30年(撮影: 2018年9月)

左の「やぶそば」は、2014年時点では営業していました。1967年12月で第一京浜、国道15号線の都電が廃止になったため、品川駅前から起点が、ここ泉岳寺前駅に変更になりました。

所在地

高輪二丁目(泉岳寺前交差点·旧芝車町)

高輪今昔物語メンバーの声

ここは、毎年12月14日、1年に1日だけ、大賑わいとなる駅です。なぜなら討ち入りの日だから。昔の都電、今のバス·地下鉄も変わらず混雑。めちゃくちゃ寒い日です。

地域

  • 高輪

雪を屋根に走る都電5系統

平成30年度(2018年)制作

雪を屋根に走る都電5系統/昭和42年(撮影: 1967年2月)→平成30年(撮影: 2018年10月)

雪が降ると、自動車の往来が少なくなりました。でも、都電は元気に走っています。ライトの灯が生きています。

所在地

白金台三丁目(旧都電・白金台町停留所前)

高輪今昔物語メンバーの声

昔の写真では道路と歩道の境目が暧昧でしたが、今ではしっかり分かれており安全面の向上が伺えました。

地域

  • 白金台

旧 魚籃坂商店街の呉服店

平成30年度(2018年)制作

旧 魚籃坂商店街の呉服店/昭和44年頃(撮影: 1969年8月)→平成30年(撮影: 2018年12月)

魚籃坂商店街にあったひらまや呉服店です。昭和39年にお嫁にいきました。特別なお客様としては、有名女優さんが足袋を買うために来店されたことがありました。

所在地

高輪二丁目

高輪今昔物語メンバーの声

昔はよくあった呉服店を懐かしく思いました、最近は見かけなくなりましたね。この場所を教えてもらった時に、パン屋さんが健在なことに嬉しくなりました。

地域

  • 高輪

三田用水の前の子どもたち

令和元年度(2019年)制作

三田用水の前の子どもたち/昭和44年(撮影: 1969年)→令和元年(撮影: 2019年8月)

撮影に使ったカメラは、オリンパス35-10Pです。三田用水の前で撮影しました。ここは、テレビ番組「月光仮面」(昭和33~34年作品)のロケ地だそうです。

所在地

三田用水路跡(白金台三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

江戸の六上水のひとつである三田上水。1974年(昭和49年)に廃止されました。戦後は付近の子どもたちの遊び場で、右側の石垣は今も写真当時と同じです。

地域

  • 白金台

すべり台の上で

令和元年度(2019年)制作

すべり台の上で/昭和40年(撮影: 1965年)→令和元年(撮影: 2019年10月)

この公園の砂場で、水色のクマのぬいぐるみを無くした思い出があります。ここで育った方は皆さんそうでしょうが、子どもの頃の思い出がたくさん詰まった公園です。

所在地

白金児童遊園(白金台二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

遊具は時代の移ろいとともに替わっても、桜はいつも同じように咲いているなあと感じています。

地域

  • 白金台

出征兵士を見送った旧品川駅舎

令和元年度(2019年)制作

出征兵士を見送った旧品川駅舎/昭和28年(撮影: 1953年)→令和元年(撮影: 2019年9月)

旧品川駅舎です。品川駅から出発すると縁起が良いということで、ここで出征兵士を見送りました。品川駅の階段を上る兵士の姿が、だんだんと見えなくなってお別れになる惜別の場でした。

所在地

JR品川駅(高輪三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

白黒時代の駅舎が残る品川駅高輪口駅舎。もう少しで見納めです、再開発が本格化する前の今のうちに記憶に焼き付けておきましょう。

地域

  • 高輪

明治学院から消防署付近の街並み

令和元年度(2019年)制作

明治学院から消防署付近の街並み/昭和40年(撮影: 1965年)→令和元年(撮影: 2019年8月)

通りの左側に松坂屋カメラ店があり、よく通いました。右側には、大きな郵便局があり、その隣には、戦後自由党総裁や内閣府官房長官などで活躍した政治家居宅がありました。

所在地

明治学院前交差点(高輪三丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

明治学院大学前の交差点から文化財になっている高輪消防署二本榎出張所の方向を撮った写真です。車の違いも写真に収めるよう、工夫しました。

地域

  • 高輪

2万人 人出のあったお祭り

令和元年度(2019年)制作

2万人 人出のあったお祭り/昭和37年(撮影: 1962年)→令和元年(撮影: 2019年7月)

商店街「メリーロード高輪」が清正公大祭とタイアップしている「のれんノ市」。当時は120店ほど露店が並び、2万人もの家族連れが訪れ、活気がありました。

所在地

天神坂(高輪一丁目付近)

高輪今昔物語メンバーの声

古くからの御屋敷町を貫く商店街。中世からの歴史を持つ古道です。『メリーロード高輪』は『楽しく歩ける買い物できる商店会』のことだそう。素敵です☆

地域

  • 高輪

都電も走る昭和の街並み

令和元年度(2019年)制作

都電も走る昭和の街並み/昭和37年(撮影: 1962年)→令和元年(撮影: 2019年8月)

左側にある小川書店は、現在も営業しています。古川橋交差点は、かつては都電の主要な停留所・乗り換え地点として有名でした。現在でも都営バス・古川橋バス停があります。

所在地

古川橋交差点(南麻布二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

首都高速も高いビルも当時はなく、昭和ののどかな風景にの中にタイムスリップしてみたいですね。都バスのバス停もバッチリ入れて撮影しました。

地域

  • 白金

高層マンションができ始めた

令和元年度(2019年)制作

高層マンションができ始めた/昭和57年(撮影: 1982年)→令和元年(撮影: 2019年8月)

左折すると麻布十番、右折すると魚籃方面です。正面奥にあるヴィンテージマンションは、地上15階建、総戸数300戸超え。昭和47年、この付近で一番早くに当時の最先端技術で建てられました。

所在地

古川橋交差点(南麻布二丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

4階建てのビルに変わった本屋さん、首都高速の向こうの三田ハウス、今でも地域に根付き親しまれています。

地域

  • 白金

手動切り替えが時代を感じる

令和元年度(2019年)制作

手動切り替えが時代を感じる/昭和6年(撮影: 1931年)→令和元年(撮影: 2019年8月)

当時は、都電の行く方向を手動で指示していました。ゴーストップとは、信号機のある交差点のことで、昭和初期に「進め(go)」「止まれ(stop)」と書いた文字盤を使ったので、この名がついています。

所在地

古川橋交差点(南麻布二丁目)

高輪今昔物語メンパーの声

90年後の古川橋交差点付近。首都高速の向こうに見える魚籃坂商店街が、往時のにぎわいをしのばせます。

地域

  • 白金

ビルがなく 遠くまで見渡せる

令和元年度(2019年)制作

ビルがなく 遠くまで見渡せる/昭和34年(撮影: 1959年)→令和2年(撮影: 2020年1月)

今はない、日本の化粧品メーカー「帝人パピリオ」の辺りです。港区には31橋※がありますが、左側に移る橋もその一つです。当時は電車の運賃は10円でした。

※令和2年現在

所在地

四ノ橋(南麻布2丁目付近)

高輪今昔物語メンバーの声

60年後の四ノ橋付近。高速道路に塞がれて古川は見にくくなりましたが、空の広がりは今も変わりません。

地域

  • 白金

亀塚公園の姉妹

令和元年度(2019年)制作

亀塚公園の姉妹/昭和26年頃(撮影: 1951年頃)→平成27年(撮影: 2015年12月)

祖母と母の弟夫婦が伊皿子坂の所に住んでいましたので、竹谷町(南麻布一丁目)から遊びに行っていました。

所在地

三田四丁目(旧芝三田台町)

写真提供者の声

昔の写真と、おそらく同じ場所に立って撮影してみました。塀とかできて、木も大きなっていますが、昔は背後は何もありませんでした。ずいぶん変わりましたよね。(昔の写真、右側が写真提供者です。)

地域

  • 三田

ビックリ! 高輪支所前に長い歩道橋が!

令和2年度(2020年)制作

ビックリ! 高輪支所前に長い歩道橋が!/昭和52年(撮影: 1977年)→令和2年(撮影: 2020年12月)

当時、歩道橋が地域を照らしていた。車のメーカー、服飾関係のブランドビル、飲料水のメーカーなどが目立っている。

所在地

旧 高輪支所前近辺(高輪1丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

古い写真の場所が不明で困っていたら、長年住んでいらっしゃるご住職が、「高輪支所前ですよ」と教えてくれました。本当に嬉しいひとときでした。

地域

  • 高輪

寛永18年から現在地にある泉岳寺

令和2年度(2020年)制作

寛永18年から現在地にある泉岳寺/昭和初期(撮影: 1926年が昭和1年)→令和3年(撮影: 2021年1月)

泉岳寺は慶長17(1612)年に外桜田に創建、寛永の大火で焼失したため、幕命により寛永18(1641)年に現在地·芝車町に移転されました。

所在地

高輪2丁目(旧芝車町)

高輪今昔物語メンバーの声

泉岳寺の門周辺は、この先10年くらいで再開発されるそうです。この門が残されるのか、リニューアルされるのか、まだ分かりませんが、ここの景色も様変わりしていくと思います。

地域

  • 高輪

おしゃれな父

令和2年度(2020年)制作

おしゃれな父/昭和20年代(撮影: 1945年〜1954年頃)→令和2年(撮影: 2020年11月)

当時は木造平屋建ての家がほとんどで、道も舗装されてなく、自然豊かなのんびりしたまちでした。

所在地

高輪1丁目

写真提供者の声

現在のまちの様子とは大分違います。おしゃれな父は、きちっとネクタイをして、ベレー帽やソフト帽をいつも被っていました。アバウトな息子の私とは違いますね。

地域

  • 高輪

伊皿子から魚籃坂に向かう都電

令和2年度(2020年)制作

伊皿子から魚籃坂に向かう都電/昭和44年(撮影: 1969年)→令和3年(撮影: 2021年1月)

都電7系統が走る。右手の魚浜は、現在は和食店です。

所在地

伊皿子交差点(高輪1・2丁目、三田4丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

伊皿子交差点辺りは、ビル·マンションに様変わり。昔は米店や駄菓子店、銭湯がありました。

地域

  • 高輪
  • 三田

八ツ山橋付近にて

令和2年度(2020年)制作

ハツ山橋付近にて/昭和11年頃(撮影: 1936年頃)→令和3年(撮影: 2021年1月)

八ツ山橋付近は、昭和29年の特撮怪獣映画で、架空の怪獣が上陸して大暴れしたあたりとして有名です。

所在地

高輪4丁目

高輪今昔物語メンバーの声

ゴジラに壊されたからなのか、現在の橋は4代目です。

地域

  • 高輪

父と私

令和2年度(2020年)制作

父と私/昭和27年(撮影: 1952年1月)→令和2年(撮影:2020年9月)

足元に木製のおもちゃ車があります。

所在地

国立公衆衛生院前庭(白金台4丁目・現 国立保健医療科学院)

高輪今昔物語メンバーの声

正月になると父は必ずこの着物でした。石タイルの地面、池の周りの風景も全く同じです。今度は私が父を連れて来ました。ここに来ると…父に会いたくなります。

地域

  • 白金台

第一京浜沿いの街並み

令和2年度(2020年)制作

第一京浜沿いの街並み/昭和47年(撮影: 1972年1月)→令和2年(撮影: 2020年12月)

第一京浜に面した街並みを撮影。左の白いビルは、京急グループのホテルパシフィック東京(現シナガワグース)です。

所在地

高輪3丁目(高輪歩道橋)

高輪今昔物語メンバーの声

細々としたお店たちはビルに、中央の赤い看板の建物はレクサスになっています。シナガワ グースは2021年3月末に閉館し、解体することが決まっています。

地域

  • 高輪

造られる外苑西通り

令和2年度(2020年)制作

造られる外苑西通り/昭和30年代(撮影: 1955〜1964年)→平成12年(撮影: 2000年12月)→令和3年(撮影: 2021年1月)

外苑西通りは、昭和39(1964)年開催の東京オリンピックに向けて造られた通りです。昭和初期は、家屋が建ち並んでおり、そこへ、渋谷方面へ抜ける大通りを整備していきました。

所在地

外苑西通り(プラチナ通り・白金台5丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

街のシンボルのようなプラチナ通りですが、50数年前は幼稚園もある宅地の一角だったそうです。そして今後は品川まで道路が通り環状線としてつながる。街は、道はこうして造られてゆくのですね。

地域

  • 白金台

亀塚公園より撮影した札の辻の陸橋

令和2年度(2020年)制作

亀塚公園より撮影した札の辻の陸橋/昭和29年(撮影: 1954年)→令和3年(撮影: 2021年1月)

三田4丁目の亀塚公園から札の辻を望む。見えづらいが、上部には海が見える。

所在地

亀塚公園(三田4丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

高台で見晴らしの良かった眺望も一面建物に覆われている、札の辻も海も! 27年前に建てられたレインボーブリッジさえも望めない。星霜をけみする時、そこはかとなく寂寥感を覚えてしまう。

地域

  • 三田

三田松坂児童遊園の昔

令和2年度(2020年)制作

三田松坂児童遊園の昔/昭和25年(撮影: 1950年)→令和2年(撮影: 2020年12月)

ゴミ置場だったところを個人が借りて公園にしていたそうです。現在は港区が管理しています。

所在地

三田松坂児童遊園(三田5丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

戦後間も無く、個人が地域のために作った公園だそうです。当時とは景色が大きく変わっていますが、今でも『だるま公園』と呼ばれて地域で大切に守られ、【だるまさん】が優しく迎えてくれます。

地域

  • 三田

都電の走る のんびりとした目黒通り

令和5年度(2023年)制作

都電の走る のんびりとした目黒通り/昭和41年(撮影: 1966年)→令和5年(撮影: 2023年5月)

左の石垣のある場所が、現在の東京都庭園美術館です。写真の頃は、迎賓館でした。石垣の一部は今も残っています。奥に見える白い建物は、現在も建っています。

所在地

東京都庭園美術館前(白金台3丁目)

高輪今昔物語メンバーの声

現在は、東京都庭園美術館や自然教育園ができて、入園者も多く賑やかになっています。道路の向こうには、マンションや商店が並んで建っています。

地域

  • 白金台

桑原坂より旧白金小学校校舎を見る

令和5年度(2023年)制作

桑原坂より旧白金小学校校舎を見る/昭和54年(撮影: 1977年)→令和5年(撮影: 2023年5月)

道路左側の3階建ての建物が、建て替え前の白金小学校の旧校舎です。昭和30年代から、通学路にはガードレールがあり、安全が守られていました。

所在地

桑原坂(白金台1丁目と3丁目の間)

高輪今昔物語メンバーの声

白金小学校の校舎は、昭和54年に建て替えになりました。学校の背後にタワーマンションが建ちました。手前の「みどりや」の看板があった建物は、今も残っています。

地域

  • 白金台

交番があった白金台交差点

令和5年度(2023年)制作

交番があった白金台交差点/昭和62年(撮影: 1987年)→令和6年(撮影: 2024年2月)

目黒通りが拡張される前はガソリンスタンドと高輪警察署白金台派出所がありました。派出所は道路が広がっても残すという約束でしたが、現在はありません。

所在地

白金台3丁目

地域

  • 白金台

私たちの白金小学校

令和5年度(2023年)制作

私たちの白金小学校/昭和52年(撮影: 1977年)→令和6年(撮影: 2024年2月)

明治9(1876)年に創立された同校。1927年にできた校舎を立て替えるというので父が私をモデルに撮影、3年後に現在の姿になりました。2025年で150周年となります。

所在地

白金台1丁目

地域

  • 白金台

昭和36年のひなまつり

令和5年度(2023年)制作

昭和36年のひなまつり/昭和36年(撮影: 1961年)→令和6年(撮影: 2024年3月)

当時は「団地ブーム」で、7段飾りに代わって、コンパクトなひな人形セットが大人気となった時代です。また、江戸時代からはじまった風習で市松人形なども一緒に飾っていました。

所在地

白金台5丁目

地域

  • 白金台

日吉坂上歩道橋から目黒方向

令和5年度(2023年)制作

日吉坂上歩道橋から目黒方向/昭和51年(撮影: 1976年)→令和6年(撮影: 2024年1月)

戦災にも合わなかった木造2階建ての店舗併用住宅が並びます。隣の人同士の顔が分かるいい時代でした。都バスの色が旧色です。

所在地

白金台3丁目

地域

  • 白金台

魚籃坂 都電7系統

令和5年度(2023年)制作

魚籃坂 都電7系統/昭和44年(撮影: 1969年)→令和6年(撮影: 2024年1月)

右側には小学校時代から通った鉄道模型店の「カツミ」がありました。その横を入れば、今はない映画館·魚籃京映と銭湯がありました。昔も今もピーコックストアは営業中です。

所在地

高輪1丁目

地域

  • 高輪